2024年10月30日 22:11
石破首相は曽祖父が牧師の4代目クリスチャン≫
カテゴリー │NEWS
岸田文雄首相の後継として、第102代首相に就任した石破氏。
同志社の創立者である新島襄から洗礼を受け、
後に牧師となった金森通倫(みちとも)を曽祖父に持つ、
プロテスタントの4代目のクリスチャンである。
クリスチャンが日本の首相に就くのは、
第92代首相を務めた麻生太郎副総裁(84)以来、
15年ぶりとみられる。
麻生氏は祖母の代からカトリックの家系で、幼児洗礼を受けている。
石破氏の父である石破二郎は、
鳥取県知事や参議院議員時代に自治相(当時)などを務めた政治家。
浄土真宗の仏教徒でクリスチャンではなかったが、
金森以来、プロテスタントの家系の母が通っていた
日本基督教団鳥取教会で石破氏は洗礼を受けた。
幼少期は、同教会の宣教師によって始められた愛真幼稚園に通った。
鳥取大学教育学部附属中学卒業後、上京して慶應義塾高校に進学。
東京では日本キリスト教会世田谷伝道所(現世田谷千歳教会)に通い、
教会学校の教師も務めた。
常に心に留めている聖書の箇所として、
新約聖書のルカによる福音書18章9~14節にある
「パリサイ派の人と徴税人」の例えを挙げている。
イエス・キリストが、自らの善行を誇るパリサイ派の人と、
自らを罪人だと告白し神の憐(あわ)れみを求める徴税人の対比を描き、
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と話す場面だ。
また、石破氏は
「人間のやることは常に誤りだらけ」だと言い、
祈るときはいつも「ご用のために私をお用いください」
「どうぞ誤りを正してください」と言うのを忘れないようにしている
と語っていた。
クリスチャン実業家による宣教団体「日本CBMC」が主催する
国家朝餐祈祷会(旧国家晩餐祈祷会)には毎回のように出席し、
スピーチをしている。
17年の国家晩餐祈祷会は、愛唱賛美歌として、
『讃美歌』(1954年版)の
7番「主のみいつとみさかえとを」と
191番「いともとうとき」を挙げるなどしている。
「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、
王たちと上に立っているすべての人々のために、
願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。
それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、
真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。」
<Ⅰテモテ2:1~2>
同志社の創立者である新島襄から洗礼を受け、
後に牧師となった金森通倫(みちとも)を曽祖父に持つ、
プロテスタントの4代目のクリスチャンである。
クリスチャンが日本の首相に就くのは、
第92代首相を務めた麻生太郎副総裁(84)以来、
15年ぶりとみられる。
麻生氏は祖母の代からカトリックの家系で、幼児洗礼を受けている。
石破氏の父である石破二郎は、
鳥取県知事や参議院議員時代に自治相(当時)などを務めた政治家。
浄土真宗の仏教徒でクリスチャンではなかったが、
金森以来、プロテスタントの家系の母が通っていた
日本基督教団鳥取教会で石破氏は洗礼を受けた。
幼少期は、同教会の宣教師によって始められた愛真幼稚園に通った。
鳥取大学教育学部附属中学卒業後、上京して慶應義塾高校に進学。
東京では日本キリスト教会世田谷伝道所(現世田谷千歳教会)に通い、
教会学校の教師も務めた。
常に心に留めている聖書の箇所として、
新約聖書のルカによる福音書18章9~14節にある
「パリサイ派の人と徴税人」の例えを挙げている。
イエス・キリストが、自らの善行を誇るパリサイ派の人と、
自らを罪人だと告白し神の憐(あわ)れみを求める徴税人の対比を描き、
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と話す場面だ。
また、石破氏は
「人間のやることは常に誤りだらけ」だと言い、
祈るときはいつも「ご用のために私をお用いください」
「どうぞ誤りを正してください」と言うのを忘れないようにしている
と語っていた。
クリスチャン実業家による宣教団体「日本CBMC」が主催する
国家朝餐祈祷会(旧国家晩餐祈祷会)には毎回のように出席し、
スピーチをしている。
17年の国家晩餐祈祷会は、愛唱賛美歌として、
『讃美歌』(1954年版)の
7番「主のみいつとみさかえとを」と
191番「いともとうとき」を挙げるなどしている。
「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、
王たちと上に立っているすべての人々のために、
願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。
それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、
真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。」
<Ⅰテモテ2:1~2>
2024年10月17日 22:18
袴田巌さん、再審で無罪判決!!≫
カテゴリー │NEWS
1966年に静岡県で一家4人を殺害したとして死刑が確定した後も、
無実を訴え続けてきたカトリック信徒の
袴田巌(はかまだ・いわお)さん(88)の再審で、
静岡地裁(国井恒志裁判長)は26日、無罪を言い渡した。
犯行時に袴田さんが着用していたとされる「5点の衣類」や、
袴田さんが「自白」したとされる供述調書など、
3つの証拠を捏造(ねつぞう)と認定した。
84年のクリスマスイブに、
獄中で教誨師の故・志村辰弥神父から洗礼を受け、
カトリック信徒となる。獄中では聖書を読んでは祈っていたという。
92年には、獄中で書きつづった潔白の訴えと再審を願う祈り、
家族への思いなどが支援団体によってまとめられ、
『主よ、いつまでですか』として出版された。
袴田巌さんの再審無罪判決に対して
日本カトリック司教協議会会長の菊地功大司教は同日、
判決を歓迎するとともに、死刑制度の再考を呼びかける談話を発表した。
談話では、袴田さんが冤罪(えんざい)による死刑という
「著しい不正義」に直面してきたとし、再審で無罪判決が出たことを
「心から歓迎し、神に感謝したい」と表明。長年にわたって
袴田さんを支えてきた家族や支援者には、心から敬意を表するとした。
神の似姿として創造された人間の命は
一つの例外もなく尊重されなければならず、
たとえどんな重罪を犯しても、イエス・キリストの福音によって、
その人格の尊厳は失われないと信じていると説明。
現在では、死刑は許容することのできない
「人格の不可侵性と尊厳への攻撃」であるとし、
全世界で死刑廃止に取り組んでいると述べた。
また、冤罪であっても、死刑によって一度命が奪われれば、
その命を取り戻すことは不可能だと指摘。
「袴田さんの再審無罪という判決を機に、今一度、
日本の社会に死刑制度の是非を考えることを呼びかけたい」とした。
~CHRISTIAN TODAYより~
無実を訴え続けてきたカトリック信徒の
袴田巌(はかまだ・いわお)さん(88)の再審で、
静岡地裁(国井恒志裁判長)は26日、無罪を言い渡した。
犯行時に袴田さんが着用していたとされる「5点の衣類」や、
袴田さんが「自白」したとされる供述調書など、
3つの証拠を捏造(ねつぞう)と認定した。
84年のクリスマスイブに、
獄中で教誨師の故・志村辰弥神父から洗礼を受け、
カトリック信徒となる。獄中では聖書を読んでは祈っていたという。
92年には、獄中で書きつづった潔白の訴えと再審を願う祈り、
家族への思いなどが支援団体によってまとめられ、
『主よ、いつまでですか』として出版された。
袴田巌さんの再審無罪判決に対して
日本カトリック司教協議会会長の菊地功大司教は同日、
判決を歓迎するとともに、死刑制度の再考を呼びかける談話を発表した。
談話では、袴田さんが冤罪(えんざい)による死刑という
「著しい不正義」に直面してきたとし、再審で無罪判決が出たことを
「心から歓迎し、神に感謝したい」と表明。長年にわたって
袴田さんを支えてきた家族や支援者には、心から敬意を表するとした。
神の似姿として創造された人間の命は
一つの例外もなく尊重されなければならず、
たとえどんな重罪を犯しても、イエス・キリストの福音によって、
その人格の尊厳は失われないと信じていると説明。
現在では、死刑は許容することのできない
「人格の不可侵性と尊厳への攻撃」であるとし、
全世界で死刑廃止に取り組んでいると述べた。
また、冤罪であっても、死刑によって一度命が奪われれば、
その命を取り戻すことは不可能だと指摘。
「袴田さんの再審無罪という判決を機に、今一度、
日本の社会に死刑制度の是非を考えることを呼びかけたい」とした。
~CHRISTIAN TODAYより~
2024年09月25日 11:52
「キリスト看板」取り上げた記事が話題に≫
カテゴリー │NEWS
地方や郊外に行くとよく見かける、
「神と和解せよ」「悔い改めよ」「イエス・キリストを呼び求める人は救われる」
などの看板。黒地に白や黄色の文字で書かれ、
民家や塀の壁に打ち付けられているあれだ。
「キリスト看板」と呼ばれるあの謎の掲示は、
何者のどのような情熱で生み出されているのか、
疑問に思ったことのある人は多いだろう。
「キリスト看板」を製作し、全国を回って掲示活動を続けている
宣教団体「聖書配布協力会」は宮城県丸森町にあった。
団体の本部を訪問して運営者の話をルポにまとめたブログが、
いまネット上で評判を呼んでいる。
「誰も知らない『キリスト看板』(聖書配布協力会)の真実!」と
題されたその投稿は、SNSによって情報が広まり、
わずか2日間でツイッターでは4000リツイート、
フェイスブックでは1300いいね! に迫る人気となっている。
記事を読んだ人たちからは、
「そうだったのか!」「長年の謎が解けた」
「迫真のルポルタージュですね」「クリスチャンなのに知らなかった」
「看板の製作工程まで詳しく紹介したものは初めてじゃないか?」
といった高評価の書き込みが相次いでいる。
記事によると、聖書配布協力会の活動は
戦後の1950年に米国人と日本人クリスチャンによって開始され、
本部は当初、宮城県の松島米軍基地内にあった。
創設メンバーはすでに死去や高齢化し、
現在は子や孫の世代が中心になっている。
東北地方から主に東日本で看板貼りを行っていたが、
20年ほど前から西日本にも進出。
現在は九州(沖縄県のみ未開拓)や北海道で重点的に新規の看板設置を進めている。
「キリスト看板は全国にどれくらいあるのか?」という問いには、
「50万枚くらい」という回答で、正確な数は本部も把握していないとのこと。
古くなったり破損したりした看板を新しいものに交換することもある。
聖書の言葉を元にした看板の種類は100以上あり、
「一度にたくさん作って本部の倉庫に数百枚ストックしてある」という。
記事はさらに「型を使った看板量産の方法」
「掲示させてもらう時は必ず家主や建物の所有者に許可を取っている」
「この看板でよいか了解を取ったり、看板の言葉を複数の中から
家主に選んでもらうこともある」「うちはもっと柔らかい言葉がいいな、とか、
この周辺は悪さする人が多いから強めの文言で、
と要望が出ることも」など活動の裏話を伝えている。
「聖書配布協力会の人達は、あの不気味な看板とは裏腹に
非常にフレンドリーで、ブローマンさんを筆頭に初めて会った自分に対しても、
丁寧親切にキリスト看板や協力会のことなどを説明対応してくれた」
と好意的な感想でルポを締めくくっている。
味わい深く貴重な報告であることは間違いない。
聖書配布協力会の街宣活動や看板には、
「死後さばきにあう」「神は罪を罰する」「地獄は永遠の苦しみ」
といった人々の恐怖心をあおるようなものも多く、
視覚的な暗さの印象も加味されて、キリスト教への反感や
偏見の原因になっているという批判の声があることも確かだ。
キリスト看板に対する疑念はおおむね晴れたようだが、
強い言葉で罪の自覚を迫る彼らの表現が、
すべてのクリスチャンに共有されたものではないということについては、
一般の人たちにあらためて理解を求めていく必要がありそうだ。
■『誰も知らない「キリスト看板」の真実!』
http://1010meguri.blog.fc2.com/blog-entry-234.html
(興味のある方はどうぞ!)
白と黄の文字で書かれているのではなく、
文字以外の部分を黒く塗っている。効率的で耐久性も高いという。
~CHRISTIAN TODAYより~
「神と和解せよ」「悔い改めよ」「イエス・キリストを呼び求める人は救われる」
などの看板。黒地に白や黄色の文字で書かれ、
民家や塀の壁に打ち付けられているあれだ。
「キリスト看板」と呼ばれるあの謎の掲示は、
何者のどのような情熱で生み出されているのか、
疑問に思ったことのある人は多いだろう。
「キリスト看板」を製作し、全国を回って掲示活動を続けている
宣教団体「聖書配布協力会」は宮城県丸森町にあった。
団体の本部を訪問して運営者の話をルポにまとめたブログが、
いまネット上で評判を呼んでいる。
「誰も知らない『キリスト看板』(聖書配布協力会)の真実!」と
題されたその投稿は、SNSによって情報が広まり、
わずか2日間でツイッターでは4000リツイート、
フェイスブックでは1300いいね! に迫る人気となっている。
記事を読んだ人たちからは、
「そうだったのか!」「長年の謎が解けた」
「迫真のルポルタージュですね」「クリスチャンなのに知らなかった」
「看板の製作工程まで詳しく紹介したものは初めてじゃないか?」
といった高評価の書き込みが相次いでいる。
記事によると、聖書配布協力会の活動は
戦後の1950年に米国人と日本人クリスチャンによって開始され、
本部は当初、宮城県の松島米軍基地内にあった。
創設メンバーはすでに死去や高齢化し、
現在は子や孫の世代が中心になっている。
東北地方から主に東日本で看板貼りを行っていたが、
20年ほど前から西日本にも進出。
現在は九州(沖縄県のみ未開拓)や北海道で重点的に新規の看板設置を進めている。
「キリスト看板は全国にどれくらいあるのか?」という問いには、
「50万枚くらい」という回答で、正確な数は本部も把握していないとのこと。
古くなったり破損したりした看板を新しいものに交換することもある。
聖書の言葉を元にした看板の種類は100以上あり、
「一度にたくさん作って本部の倉庫に数百枚ストックしてある」という。
記事はさらに「型を使った看板量産の方法」
「掲示させてもらう時は必ず家主や建物の所有者に許可を取っている」
「この看板でよいか了解を取ったり、看板の言葉を複数の中から
家主に選んでもらうこともある」「うちはもっと柔らかい言葉がいいな、とか、
この周辺は悪さする人が多いから強めの文言で、
と要望が出ることも」など活動の裏話を伝えている。
「聖書配布協力会の人達は、あの不気味な看板とは裏腹に
非常にフレンドリーで、ブローマンさんを筆頭に初めて会った自分に対しても、
丁寧親切にキリスト看板や協力会のことなどを説明対応してくれた」
と好意的な感想でルポを締めくくっている。
味わい深く貴重な報告であることは間違いない。
聖書配布協力会の街宣活動や看板には、
「死後さばきにあう」「神は罪を罰する」「地獄は永遠の苦しみ」
といった人々の恐怖心をあおるようなものも多く、
視覚的な暗さの印象も加味されて、キリスト教への反感や
偏見の原因になっているという批判の声があることも確かだ。
キリスト看板に対する疑念はおおむね晴れたようだが、
強い言葉で罪の自覚を迫る彼らの表現が、
すべてのクリスチャンに共有されたものではないということについては、
一般の人たちにあらためて理解を求めていく必要がありそうだ。
■『誰も知らない「キリスト看板」の真実!』
http://1010meguri.blog.fc2.com/blog-entry-234.html
(興味のある方はどうぞ!)
白と黄の文字で書かれているのではなく、
文字以外の部分を黒く塗っている。効率的で耐久性も高いという。
~CHRISTIAN TODAYより~
2024年09月08日 17:17
母親=卵製造者!?≫
カテゴリー │NEWS
アメリカでは現在、「母親」という言葉を表す
「マザー(Mother)」という言葉が禁止され、
「卵製造者(エッグ・プロデューサーEgg Producer)」という言葉に
変えられようとしているそうです。
テレビや新聞、雑誌などでは全て、
「母親」「マザー」という言葉が消えて、
その代わりに「卵製造者」という言葉だけが
使われるようになっていく方向にあるかもしれないのです。
(バイデン政権が選んだ保健福祉省提督
レヴィーン氏はトランスジェンダーであり、
男なのに米国Woman of the Yearに選定、
「母親」を『卵製造者 Egg Producer』に置換・・
という昨年のニュースからです。)
これは、性別に関する言葉遣いの見直しや、
より包括的な表現を求める動きの一環として
議論されています。
このような言葉の変更は、家族や社会の価値観に
大きな影響を与える可能性があるため、
賛否両論があります。
神は人をご自身のかたちとして創造された。
神のかたちとして人を創造し、
男と女に彼らを創造された。
<創世記1:27>
「マザー(Mother)」という言葉が禁止され、
「卵製造者(エッグ・プロデューサーEgg Producer)」という言葉に
変えられようとしているそうです。
テレビや新聞、雑誌などでは全て、
「母親」「マザー」という言葉が消えて、
その代わりに「卵製造者」という言葉だけが
使われるようになっていく方向にあるかもしれないのです。
(バイデン政権が選んだ保健福祉省提督
レヴィーン氏はトランスジェンダーであり、
男なのに米国Woman of the Yearに選定、
「母親」を『卵製造者 Egg Producer』に置換・・
という昨年のニュースからです。)
これは、性別に関する言葉遣いの見直しや、
より包括的な表現を求める動きの一環として
議論されています。
このような言葉の変更は、家族や社会の価値観に
大きな影響を与える可能性があるため、
賛否両論があります。
神は人をご自身のかたちとして創造された。
神のかたちとして人を創造し、
男と女に彼らを創造された。
<創世記1:27>
2024年09月04日 21:55
星野富弘さん最後の作品≫
カテゴリー │詩
2024年4月28日、78年の地上の生涯を終え、天に召された
詩画作家の星野富弘さんの
最後の作品をご紹介したいと思います。
「生かされて」
そうか神様に
生かされていたのか
そう気付いた時
道端の花が
輝き始め
苦しみにも
悲しみにも
どんな小さなことにも
意味があったのを知った
なお、星の富弘さんの生まれ故郷である、群馬県みどり市に
『星野富弘美術館』があります。
設立は1991年。
全国から多くの人がここを訪れ、2021年、来館者は延べ700万人を突破したそうです。
また富弘さん召天後は、記帳所のノートには
「富弘さん、ありがとう」のころばがあふれてるそうです。
特に若い世代の人に、ぜひ、来館をと、美術館に勤務する相崎さん。
「富弘さんとお話しに来る、そんな気持ちで着ていただけたら嬉しいです。」
詩画作家の星野富弘さんの
最後の作品をご紹介したいと思います。
「生かされて」
そうか神様に
生かされていたのか
そう気付いた時
道端の花が
輝き始め
苦しみにも
悲しみにも
どんな小さなことにも
意味があったのを知った
なお、星の富弘さんの生まれ故郷である、群馬県みどり市に
『星野富弘美術館』があります。
設立は1991年。
全国から多くの人がここを訪れ、2021年、来館者は延べ700万人を突破したそうです。
また富弘さん召天後は、記帳所のノートには
「富弘さん、ありがとう」のころばがあふれてるそうです。
特に若い世代の人に、ぜひ、来館をと、美術館に勤務する相崎さん。
「富弘さんとお話しに来る、そんな気持ちで着ていただけたら嬉しいです。」
2024年08月22日 15:50
世界に広がる反ユダヤ主義≫
カテゴリー │イスラエル
世界に離散して住むユダヤ人は、今でもそれぞれの地域で迫害を受けています。
そして世界各地に今反ユダヤ主義が広がっています。
(イスラエルに関するニュースも正しく報道されないことがしばしば。)
なぜユダヤ人が嫌われるのでしょうか?
1番目に
歴史家が指摘する反ユダヤ主義の原因は、少なくとも6つあります。
①ユダヤ人は、キリスト殺しの犯人である。
②ユダヤ人は、富を持ち過ぎている。
③ユダヤ人は、自分が選民だと思い傲慢になっている。
④ユダヤ人は、劣悪な人種である。
⑤ユダヤ人は、世界の問題の原因である。
⑥ユダヤ人は、他の民族や文化と同化しない。
しかし、よく調べてみると、これらの要因は単なる憶測や噂に過ぎず、
いわば「神話」のようなものです。
2番目に
聖書が指摘する反ユダヤ主義の原因は、霊的なものです。
神は、全人類を救うためにアブラハムを選び、彼と契約を結ばれました。
その契約を継承したのが、アブラハムの子のイサクであり、
孫のヤコブです。そのヤコブの子孫がイスラエル人、
つまり、ユダヤ人です。ということは、ユダヤ人は、
神が全人類を救うために用いる器だということです。
そこに目を付けた悪魔は、ユダヤ人を抹殺しようとしました。
ユダヤ人がいなくなれば、神の計画が成就することはなくなるからです。
聖書の観点からすると、すべての反ユダヤ主義は神の否定につながります。
3番目に
神は、悪魔の陰謀からユダヤ人をお守りになります。
悪魔がこれまでに用いてきたユダヤ人の抹殺法はいつくかあります。
①エジプトの圧政、②アッシリヤ捕囚、③バビロン捕囚、
④ペルシアの圧政、⑤ロシアでのポグロム、⑥ナチスドイツのホロコースト。
いずれの方法も、完全にユダヤ人を消し去ることはできませんでした。
ロマ11:26には、「こうして、イスラエルはみな救われる」という預言があります。
反ユダヤ主義の原因が霊的なものであることを理解する人は、
ユダヤ人を愛し、ユダヤ人の救いのために祈り始める人です。
反ユダヤ主義の原因は、霊的なものです。
(聖書入門com 中川健一牧師)
サタンは神の民であるユダヤ人を憎んでいます。
ユダヤ人は、神の完全なご支配、つまり神の国回復計画で主要な役割を担っています。
この計画が完了すれば、サタンは自らが永遠の滅びに至ることを知っているため、
ユダヤ人を抹殺したいと願っているのです。
そのため、ユダヤ人が人々から憎まれるように仕向けています。
興味ある記事を見つけたのでここに紹介します。
米紙ウォールストリート・ジャーナルは、
イスラム組織ハマスのパレスチナ自治区ガザの
トップ、シンワール指導者が、
イスラエル軍の攻撃による民間人の犠牲拡大はハマスに有利に働く、
パレスチナ人の死がイスラエルへ圧力を高めるのに役立つ
との考えをガザ地区外の幹部らに伝えていたと報じた。
同紙が入手したシンワール指導者のメッセージには、
ガザ民間人の流血は必要な犠牲と書き込まれていた。
民間人の死者が増えれば増えるほど、
イスラエルへの圧力も増すと考えられています。
民間人が人間の盾として利用されているのです。
そして世界各地に今反ユダヤ主義が広がっています。
(イスラエルに関するニュースも正しく報道されないことがしばしば。)
なぜユダヤ人が嫌われるのでしょうか?
1番目に
歴史家が指摘する反ユダヤ主義の原因は、少なくとも6つあります。
①ユダヤ人は、キリスト殺しの犯人である。
②ユダヤ人は、富を持ち過ぎている。
③ユダヤ人は、自分が選民だと思い傲慢になっている。
④ユダヤ人は、劣悪な人種である。
⑤ユダヤ人は、世界の問題の原因である。
⑥ユダヤ人は、他の民族や文化と同化しない。
しかし、よく調べてみると、これらの要因は単なる憶測や噂に過ぎず、
いわば「神話」のようなものです。
2番目に
聖書が指摘する反ユダヤ主義の原因は、霊的なものです。
神は、全人類を救うためにアブラハムを選び、彼と契約を結ばれました。
その契約を継承したのが、アブラハムの子のイサクであり、
孫のヤコブです。そのヤコブの子孫がイスラエル人、
つまり、ユダヤ人です。ということは、ユダヤ人は、
神が全人類を救うために用いる器だということです。
そこに目を付けた悪魔は、ユダヤ人を抹殺しようとしました。
ユダヤ人がいなくなれば、神の計画が成就することはなくなるからです。
聖書の観点からすると、すべての反ユダヤ主義は神の否定につながります。
3番目に
神は、悪魔の陰謀からユダヤ人をお守りになります。
悪魔がこれまでに用いてきたユダヤ人の抹殺法はいつくかあります。
①エジプトの圧政、②アッシリヤ捕囚、③バビロン捕囚、
④ペルシアの圧政、⑤ロシアでのポグロム、⑥ナチスドイツのホロコースト。
いずれの方法も、完全にユダヤ人を消し去ることはできませんでした。
ロマ11:26には、「こうして、イスラエルはみな救われる」という預言があります。
反ユダヤ主義の原因が霊的なものであることを理解する人は、
ユダヤ人を愛し、ユダヤ人の救いのために祈り始める人です。
反ユダヤ主義の原因は、霊的なものです。
(聖書入門com 中川健一牧師)
サタンは神の民であるユダヤ人を憎んでいます。
ユダヤ人は、神の完全なご支配、つまり神の国回復計画で主要な役割を担っています。
この計画が完了すれば、サタンは自らが永遠の滅びに至ることを知っているため、
ユダヤ人を抹殺したいと願っているのです。
そのため、ユダヤ人が人々から憎まれるように仕向けています。
興味ある記事を見つけたのでここに紹介します。
米紙ウォールストリート・ジャーナルは、
イスラム組織ハマスのパレスチナ自治区ガザの
トップ、シンワール指導者が、
イスラエル軍の攻撃による民間人の犠牲拡大はハマスに有利に働く、
パレスチナ人の死がイスラエルへ圧力を高めるのに役立つ
との考えをガザ地区外の幹部らに伝えていたと報じた。
同紙が入手したシンワール指導者のメッセージには、
ガザ民間人の流血は必要な犠牲と書き込まれていた。
民間人の死者が増えれば増えるほど、
イスラエルへの圧力も増すと考えられています。
民間人が人間の盾として利用されているのです。
2024年08月08日 15:14
平和について≫
カテゴリー │BIBLE
聖書には、平和についての言葉が多く記されています。
終戦記念日(終戦の日)が近づいてきましたので、
今回は戦争と平和についての聖句や
著名人の名言をまとめてみました。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
<マタイ5:9>
あなたがたの中の戦いや争いは、どこから起こるのですか。
あなたがたの体の中でうごめく欲望から起こるのではありませんか。
< ヤコブ4:1 聖書協会共同訳>
悪を避けて善を行い、平和を求めて、これを追え。
< 1ペテロ3:11>
だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
< ローマ12:17-18>
彼[神]はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、
すきとし、そのやりを打ちかえて、鎌(かま)とし、国は国にむかって、
つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。
<イザヤ2:4>
イエスは言われた。
「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」
<マタイ26:52 新共同訳>
互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。
そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。
< 2コリント13:11>
平和は微笑みから始まります。1日5回、
あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みかけなさい。
< マザー・テレサ (修道女)
暴力は憎しみを増すだけです。憎しみはそのまま残る。
暴力に対して暴力を持って報いれば、暴力は増加するだけです。
< マーティン・ルーサー・キング・ジュニア>
(”キング牧師”、公民権運動指導者)
世界は、大きな車輪のようなものですからね。
対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、
まわっていかなければなりません。
では、お元気で、幸運をいのります。
< 杉原千畝>
(外交官:第二次大戦中、外務省からの訓令に反して
ビザを発給し救出した難民の一人にかけた励ましの言葉)
人類は戦争に終止符を打たなければならない。
さもなければ、戦争が人類に終止符を打つことになるだろう。
< ジョン・F・ケネディ> (第35代米国大統領)
愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。
< ヘルマン・ヘッセ> (小説家)
主よ、私をあなたの平和の道具としてください。
憎しみのあるところに愛の種をまき、危害のあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、悲しみのあるところに喜びをもたらす者としてください。
<フランチェスコの平和の祈り>
終戦記念日(終戦の日)が近づいてきましたので、
今回は戦争と平和についての聖句や
著名人の名言をまとめてみました。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
<マタイ5:9>
あなたがたの中の戦いや争いは、どこから起こるのですか。
あなたがたの体の中でうごめく欲望から起こるのではありませんか。
< ヤコブ4:1 聖書協会共同訳>
悪を避けて善を行い、平和を求めて、これを追え。
< 1ペテロ3:11>
だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
< ローマ12:17-18>
彼[神]はもろもろの国のあいだにさばきを行い、
多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、
すきとし、そのやりを打ちかえて、鎌(かま)とし、国は国にむかって、
つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。
<イザヤ2:4>
イエスは言われた。
「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」
<マタイ26:52 新共同訳>
互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。
そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。
< 2コリント13:11>
平和は微笑みから始まります。1日5回、
あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みかけなさい。
< マザー・テレサ (修道女)
暴力は憎しみを増すだけです。憎しみはそのまま残る。
暴力に対して暴力を持って報いれば、暴力は増加するだけです。
< マーティン・ルーサー・キング・ジュニア>
(”キング牧師”、公民権運動指導者)
世界は、大きな車輪のようなものですからね。
対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、
まわっていかなければなりません。
では、お元気で、幸運をいのります。
< 杉原千畝>
(外交官:第二次大戦中、外務省からの訓令に反して
ビザを発給し救出した難民の一人にかけた励ましの言葉)
人類は戦争に終止符を打たなければならない。
さもなければ、戦争が人類に終止符を打つことになるだろう。
< ジョン・F・ケネディ> (第35代米国大統領)
愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。
< ヘルマン・ヘッセ> (小説家)
主よ、私をあなたの平和の道具としてください。
憎しみのあるところに愛の種をまき、危害のあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、悲しみのあるところに喜びをもたらす者としてください。
<フランチェスコの平和の祈り>
2024年08月01日 16:05
パリ五輪開会式に批判!?≫
カテゴリー │NEWS
7月26日に行われたパリ・オリンピックの開会式で、
イエス・キリストと12人弟子の最後の食事の場面を描いた
レオナルド・ダビンチの名画「最後の晩餐」をほうふつとさせる
パフォーマンスが行われたことを巡り、キリスト教界から批判の声が上がっている。
批判が向けられているのは、エッフェル塔近くのドゥビリ橋で演じられた
「祝宴」と題されたパフォーマンス。
「最後の晩餐」でイエスが描かれている食卓中央部分に、
レズビアン活動家でDJのバーバラ・ブッチさんが立ち、
ドラッグクイーン(女装した男性)やトランスジェンダーのモデルらが
周囲の12弟子を表現しているとみられる内容だった。
これに対し、フランス・カトリック司教協議会は27日、
フランス語と英語で声明を発表。
開会式は「感動にあふれ、世界中で称賛される美と喜びの
素晴らしい表現を世界に提供しました」としながらも、
「残念ながら、この式典にはキリスト教を嘲笑し愚弄(ぐろう)するシーンが
含まれていました」と指摘。「深い遺憾」を表明した。
また、「連帯を表明してくれた他宗教のメンバーに
感謝を表明したいです」と述べ、キリスト教以外の宗教関係者からも
開会式のパフォーマンスを問題視する声が寄せられたことを示唆した。
その上で、「私たちは、(開会式の)特定のシーンの無礼さと
挑発によって傷ついた全大陸の全てのキリスト教徒のことを考えています」とし、
「オリンピックの祭典は、少数のアーティストのイデオロギー的偏見を
はるかに超えるものだということを、皆さんに理解していただきたいです」と述べた。
フランス福音主義協議会(CNEF)のエルワン・クロアレック会長も
28日、自身のX(旧ツイッター、フランス語)に、開会式に対する
見解を投稿。「創造的で楽しい開会式でした。しかし、
ある『絵』にショックを受けました。友愛と包摂が目的なら、
なぜ少数の人々の信仰を標的にし、嘲笑するのでしょうか。
その必要はありませんでした」と述べた。
批判の声は、フランス国外からも上がっている。
米国カトリック司教協議会(USCCB)の全米聖体大会実行委員長の
アンドリュー・コッツェンズ司教は27日、声明(英語)を発表。
「約10億人の男女と子どもたちが、直接または生中継を通じて、
『キリスト教生活の源泉であり頂点』であるミサが公然と
嘲笑されるのを目撃しました」と述べ、開会式のパフォーマンスを批判した。
ミサ(プロテスタントでは聖餐式)が制定された場である最後の晩餐が、
「ひどい方法」で描かれたとし、「言葉では言い表せないほどの衝撃と悲しみ、
そして正当な怒りを私たちに与えました」と続けた。
一方、「私たちは、敵が悪のために企てることを
神は善のために用いられることを知っています」とし、
新約聖書のローマの信徒への手紙5章20節
「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」を引用。
祈りと断食をもって応じるよう求めた。
この他、カトリック系のCNA通信(英語)によると、
米国では他の司教らも自身のXに開会式を批判するコメントを相次いで投稿。
マルタやチリ、ドイツの大司教や司教らも批判を表明した。
また、英国福音同盟(EA)のガビン・カルバー最高責任者(CEO)も27日、
自身のX(英語)に「パリ・オリンピックの大成功を祈っています」としつつ、
「しかし開会式で、最後の晩餐の信じられないほど配慮に
欠ける描写によって、キリスト教があからさまに嘲笑されるのを見るのは、
本当にひどいものでした」と投稿。
「まったく無神経で、不必要で、侮辱的なものでした」と強く批判した。
批判を招いたパフォーマンスでは、全身を青く塗ったフランス人歌手の
フィリップ・カトリーヌさんが食卓上に登場し、
ギリシャ神話の豊穣と酒の神とされるディオニソスに扮(ふん)し、歌う場面もあった。
AP通信(英語)によると、開会式の芸術監督で、
ゲイであることを公表しているトマ・ジョリーさんは、
パフォーマンスは最後の晩餐をモチーフにしたものではなく、
多様性を祝い、祝宴とフランスの料理に敬意を示すものだったと説明。
「私の願いは破壊的になることでも、嘲笑したりショックを
与えたりすることでもありません」とし、「何よりも、愛のメッセージ、
包摂のメッセージを送りたかったのであって、
決して分裂を招きたかったわけではありません」と語った。
また、パリ・オリンピック組織委員会のアンヌ・デカン広報部長は
28日に開いた記者会見で、いかなる宗教団体も侮辱する意図はなく、
社会の寛容さをたたえようとしたものだったと説明。
その上で、「私たちの世論調査の結果を見ると、
この願いは達成されたものと信じています」と述べた。
しかしその一方で、「もし不快な思いをした人がいれば、
もちろん、本当に申し訳なく思っています」と陳謝した。
CHRISTIAN TODAY
イエス・キリストと12人弟子の最後の食事の場面を描いた
レオナルド・ダビンチの名画「最後の晩餐」をほうふつとさせる
パフォーマンスが行われたことを巡り、キリスト教界から批判の声が上がっている。
批判が向けられているのは、エッフェル塔近くのドゥビリ橋で演じられた
「祝宴」と題されたパフォーマンス。
「最後の晩餐」でイエスが描かれている食卓中央部分に、
レズビアン活動家でDJのバーバラ・ブッチさんが立ち、
ドラッグクイーン(女装した男性)やトランスジェンダーのモデルらが
周囲の12弟子を表現しているとみられる内容だった。
これに対し、フランス・カトリック司教協議会は27日、
フランス語と英語で声明を発表。
開会式は「感動にあふれ、世界中で称賛される美と喜びの
素晴らしい表現を世界に提供しました」としながらも、
「残念ながら、この式典にはキリスト教を嘲笑し愚弄(ぐろう)するシーンが
含まれていました」と指摘。「深い遺憾」を表明した。
また、「連帯を表明してくれた他宗教のメンバーに
感謝を表明したいです」と述べ、キリスト教以外の宗教関係者からも
開会式のパフォーマンスを問題視する声が寄せられたことを示唆した。
その上で、「私たちは、(開会式の)特定のシーンの無礼さと
挑発によって傷ついた全大陸の全てのキリスト教徒のことを考えています」とし、
「オリンピックの祭典は、少数のアーティストのイデオロギー的偏見を
はるかに超えるものだということを、皆さんに理解していただきたいです」と述べた。
フランス福音主義協議会(CNEF)のエルワン・クロアレック会長も
28日、自身のX(旧ツイッター、フランス語)に、開会式に対する
見解を投稿。「創造的で楽しい開会式でした。しかし、
ある『絵』にショックを受けました。友愛と包摂が目的なら、
なぜ少数の人々の信仰を標的にし、嘲笑するのでしょうか。
その必要はありませんでした」と述べた。
批判の声は、フランス国外からも上がっている。
米国カトリック司教協議会(USCCB)の全米聖体大会実行委員長の
アンドリュー・コッツェンズ司教は27日、声明(英語)を発表。
「約10億人の男女と子どもたちが、直接または生中継を通じて、
『キリスト教生活の源泉であり頂点』であるミサが公然と
嘲笑されるのを目撃しました」と述べ、開会式のパフォーマンスを批判した。
ミサ(プロテスタントでは聖餐式)が制定された場である最後の晩餐が、
「ひどい方法」で描かれたとし、「言葉では言い表せないほどの衝撃と悲しみ、
そして正当な怒りを私たちに与えました」と続けた。
一方、「私たちは、敵が悪のために企てることを
神は善のために用いられることを知っています」とし、
新約聖書のローマの信徒への手紙5章20節
「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」を引用。
祈りと断食をもって応じるよう求めた。
この他、カトリック系のCNA通信(英語)によると、
米国では他の司教らも自身のXに開会式を批判するコメントを相次いで投稿。
マルタやチリ、ドイツの大司教や司教らも批判を表明した。
また、英国福音同盟(EA)のガビン・カルバー最高責任者(CEO)も27日、
自身のX(英語)に「パリ・オリンピックの大成功を祈っています」としつつ、
「しかし開会式で、最後の晩餐の信じられないほど配慮に
欠ける描写によって、キリスト教があからさまに嘲笑されるのを見るのは、
本当にひどいものでした」と投稿。
「まったく無神経で、不必要で、侮辱的なものでした」と強く批判した。
批判を招いたパフォーマンスでは、全身を青く塗ったフランス人歌手の
フィリップ・カトリーヌさんが食卓上に登場し、
ギリシャ神話の豊穣と酒の神とされるディオニソスに扮(ふん)し、歌う場面もあった。
AP通信(英語)によると、開会式の芸術監督で、
ゲイであることを公表しているトマ・ジョリーさんは、
パフォーマンスは最後の晩餐をモチーフにしたものではなく、
多様性を祝い、祝宴とフランスの料理に敬意を示すものだったと説明。
「私の願いは破壊的になることでも、嘲笑したりショックを
与えたりすることでもありません」とし、「何よりも、愛のメッセージ、
包摂のメッセージを送りたかったのであって、
決して分裂を招きたかったわけではありません」と語った。
また、パリ・オリンピック組織委員会のアンヌ・デカン広報部長は
28日に開いた記者会見で、いかなる宗教団体も侮辱する意図はなく、
社会の寛容さをたたえようとしたものだったと説明。
その上で、「私たちの世論調査の結果を見ると、
この願いは達成されたものと信じています」と述べた。
しかしその一方で、「もし不快な思いをした人がいれば、
もちろん、本当に申し訳なく思っています」と陳謝した。
CHRISTIAN TODAY
2024年07月14日 17:11
永遠の命とは≫
カテゴリー │BIBLE
人気アニメの「鬼滅の刃」の中に
永遠・不滅・・などのワードがありますが、
では聖書が語る「永遠の命」とは
どういう意味でしょうか?
<私たち人間は、神さまの目から見ると全員が罪人です>
(1)罪人は、2つの死を経験します。
①肉体の死は、魂が肉体から分離することです。
②霊的死(第2の死)は、神と分離し永遠の苦しみに投げ込まれることです。
(2)福音を信じる人には、祝福が与えられます。
①肉体の死を経験しても、やがて復活の体が与えられます。
②霊的死(第2の死)から解放され、神との和解(平和)が与えられます。
<永遠のいのちには、2つの要素があります>
(1)死んでも生きるという意味では、時間的な要素があります。
(2)神との平和が与えられるという意味では、質的な要素があります。
(3)永遠のいのちは、死ぬまで待たなくても、今の段階から味わうことができます。
(4)信者が日々神と交わり、喜びを感じるのは、永遠のいのちを体験しているからです。
<永遠のいのちを得る方法は、信仰です>
(1)「福音の三要素」を信じ、イエス・キリストに信頼を置くのが信仰です。
①キリストは私たちの罪のために死なれた。
②死んで墓に葬られた。
③3日目に復活された。
(2)人は洗礼によってクリスチャンになるのではありません。
①洗礼はクリスチャンになったことを表現する聖礼典です。
②これを機会に、自分が永遠のいのちを持っているかどうか、吟味してみてください。
永遠のいのちとは、神との平和を持っている状態です。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。
<ヨハネによる福音書 3:16>
聖書入門・com
中川健一
永遠・不滅・・などのワードがありますが、
では聖書が語る「永遠の命」とは
どういう意味でしょうか?
<私たち人間は、神さまの目から見ると全員が罪人です>
(1)罪人は、2つの死を経験します。
①肉体の死は、魂が肉体から分離することです。
②霊的死(第2の死)は、神と分離し永遠の苦しみに投げ込まれることです。
(2)福音を信じる人には、祝福が与えられます。
①肉体の死を経験しても、やがて復活の体が与えられます。
②霊的死(第2の死)から解放され、神との和解(平和)が与えられます。
<永遠のいのちには、2つの要素があります>
(1)死んでも生きるという意味では、時間的な要素があります。
(2)神との平和が与えられるという意味では、質的な要素があります。
(3)永遠のいのちは、死ぬまで待たなくても、今の段階から味わうことができます。
(4)信者が日々神と交わり、喜びを感じるのは、永遠のいのちを体験しているからです。
<永遠のいのちを得る方法は、信仰です>
(1)「福音の三要素」を信じ、イエス・キリストに信頼を置くのが信仰です。
①キリストは私たちの罪のために死なれた。
②死んで墓に葬られた。
③3日目に復活された。
(2)人は洗礼によってクリスチャンになるのではありません。
①洗礼はクリスチャンになったことを表現する聖礼典です。
②これを機会に、自分が永遠のいのちを持っているかどうか、吟味してみてください。
永遠のいのちとは、神との平和を持っている状態です。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。
<ヨハネによる福音書 3:16>
聖書入門・com
中川健一
2024年07月03日 14:01
2024年発行の新五千円札の顔にも選ばれた津田梅子(つだ・うめこ)は、
日本の女子教育に人生をかけ、日本の近代化の礎を築いた
人物の一人として知られています。
その父である津田仙(つだ・せん)もまた、
未来を見つめ、国の近代化と市民のために力を尽くした先駆者でした。
そんな津田梅子と津田仙は、
当時日本では珍しかったキリスト教徒でした。
津田梅子の数奇な人生
~日本初の女子留学生~
津田梅子が生まれたのはちょうど幕末から明治に切り替わる直前、
元治元年(西暦1864年)の事でした。
廃藩置県(はいはんちけん)から初めての内閣発足と、
まさに明治維新の目まぐるしい時代に、
女性の地位向上のための女性教育に人生を燃やした女性です。
梅子の父 仙は、当時としては珍しく英語やオランダ語に
精通したかなり先進的な思想の持ち主で、
幕府の外国奉行にも携わった人物でした。
その仙の勧めによって、1871年、梅子はなんと6歳にして
岩倉使節団の一員として渡米留学し、
11年間をアメリカで過ごすこととなったのです。
梅子の他に4人の女子も留学しました。日本人初の女子留学生でした。
5人の中でも最年少であった梅子は、
アメリカ・ワシントンのランマン夫妻の元に滞在しつつ勉学に励みました。
8歳のころに日本政府によるキリスト教の禁教が解かれると、
ランマン夫妻に連れられて教会に通っていた梅子は
洗礼を志願し、アメリカで受洗しました。
渡米当初は二言三言の英単語しか知らなかった梅子ですが、
勤勉に励み、非常に優秀な成績で高校を卒業して日本に帰国しました。
日本での活動
梅子はアメリカ滞在時から、「日本の女性のための学校を作りたい」
という志を持っていて、共に留学した留学生たちとその誓いを立てていました。
帰国後は使節団として共に渡米した伊藤博文宅で、
英語や西洋文化について教える住み込みの家庭教師として働き、
そののち伊藤博文の采配で華族女学校(現在の学習院大学)で、
英語教師として教鞭をとることとなりました。
その後梅子は再びアメリカの大学で学ぶために単身渡米し、
3年間アメリカで学びました。梅子の優秀さに、研究室の恩師からは
「研究者にならないか」と勧められ、梅子はまたとないこの話に
葛藤しましたが、日本の女性の教育と地位の改革に
使命感を持っていたため、この話を断り日本に帰国しました。
再び華族女学校で教鞭をとる中、アメリカやイギリスへ招かれる機会があり、
ヘレン・ケラーやナイチン・ゲールとも会い、
大きな刺激を受けました。そうした中で梅子は、
華族女学校での華々しいキャリアを手放して、かねてからの夢であった
自分の学校を作ることを決意しました。梅子が作ったのは、
英語教員を育てるための女学校でした。
梅子は女性が自立するためには、なによりも安定した職を
手にする必要があると考えました。
当時女性でも安定的な地位につける職は、
特別な教育が必要な英語教師ぐらいだったのです。
これまでの数々の友人たちにも助けられて開校した
「女子英学塾」は、はじめは小さい古民家で、
十名の生徒からはじまりました。梅子は非常に情熱的で
厳しい先生でしたが、次第に高いレベルの英語教育が
身につく女子学校として評判となり、生徒も増えていきました。
女子英学塾は関東大震災などの幾多の困難を乗り越えて
大きく成長し、後の津田塾大学となりました。
近代的な価値観とキリスト教信仰
今でこそ、基本的人権や人類の平等は当然の理念として受け入れられていますが、
開国間もなく、厳しい身分制度が色濃く残る明治時代、
キリスト教的思想は日本人にとっては先進的なものでした。
道徳理念的にも、強者が欲しいままにふるまって
弱者から搾取するのは当然の事とされていました。
梅子や仙から見て、西洋の先進的な思想の裏に
キリスト教があることは明らかでした。
キリスト教信仰は人命を神の前に等しく尊いものとし、
神の前にへりくだって、互いに愛し合い、助け合うようにと勧めています。
またこの世界での命には限りがありますが、
神を仰ぐときに死んでもなお天国に行くことができると教えているのです。
梅子や仙はこの愛と希望に満ちた教えに感銘を受け、
深く共感して受け入れたのではないでしょうか。
使命に生きる
梅子は士族の出身者であり、その周りも華々しい社交界の人々でしたが、
鹿鳴館の舞踏会や表面的な西洋かぶれに興じる人々を、
どこか冷めたまなざしで見定めていました。
そして地位の低い人々や、特に不当なまでに
虐げられていた当時の女性たちに心を向けていました。
そうして梅子はその生涯を女子教育と女性の地位向上のために捧げました。
激動の時代に、日本初の女子留学生という数奇な人生を歩んだ梅子は、
「この特別な人生には何か意味がある」ということをよく自覚し、
誠実にその任務を果たそうとしていたのです。
そして留学や教育の経験、与えられた環境から
「自分にしかできないこと」があり、それが何であるかを理解していたのではないでしょうか。
それはけっして平穏で楽しみばかりの人生ではなかったことでしょう。
ひたすら勉学に努め、生みの親や育ての親との離別も経験し、
アイデンティティのゆらぎや孤独を感じることもあったはずです。
しかしそのような中でも、与えられた境遇を感謝し、
周囲の人々との愛を育み、またさらに見知らぬ人々への愛に
突き動かされてまい進し、その使命のためにいのちを燃やし尽くしたのです。
私たち一人ひとりにも、神様が与えてくださった
ご計画と使命があります。さまざまな困難に立ちすくむときに、
天を見上げてその意味を問い、そして神様の視点で感謝してそれを受け入れ、
大胆に応答して生きる者でありたいと思わされます。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って
召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
<ローマ人への手紙8:28>
~新生宣教団~
クリスチャン人物伝より
新五千円札の顔:津田梅子≫
カテゴリー
2024年発行の新五千円札の顔にも選ばれた津田梅子(つだ・うめこ)は、
日本の女子教育に人生をかけ、日本の近代化の礎を築いた
人物の一人として知られています。
その父である津田仙(つだ・せん)もまた、
未来を見つめ、国の近代化と市民のために力を尽くした先駆者でした。
そんな津田梅子と津田仙は、
当時日本では珍しかったキリスト教徒でした。
津田梅子の数奇な人生
~日本初の女子留学生~
津田梅子が生まれたのはちょうど幕末から明治に切り替わる直前、
元治元年(西暦1864年)の事でした。
廃藩置県(はいはんちけん)から初めての内閣発足と、
まさに明治維新の目まぐるしい時代に、
女性の地位向上のための女性教育に人生を燃やした女性です。
梅子の父 仙は、当時としては珍しく英語やオランダ語に
精通したかなり先進的な思想の持ち主で、
幕府の外国奉行にも携わった人物でした。
その仙の勧めによって、1871年、梅子はなんと6歳にして
岩倉使節団の一員として渡米留学し、
11年間をアメリカで過ごすこととなったのです。
梅子の他に4人の女子も留学しました。日本人初の女子留学生でした。
5人の中でも最年少であった梅子は、
アメリカ・ワシントンのランマン夫妻の元に滞在しつつ勉学に励みました。
8歳のころに日本政府によるキリスト教の禁教が解かれると、
ランマン夫妻に連れられて教会に通っていた梅子は
洗礼を志願し、アメリカで受洗しました。
渡米当初は二言三言の英単語しか知らなかった梅子ですが、
勤勉に励み、非常に優秀な成績で高校を卒業して日本に帰国しました。
日本での活動
梅子はアメリカ滞在時から、「日本の女性のための学校を作りたい」
という志を持っていて、共に留学した留学生たちとその誓いを立てていました。
帰国後は使節団として共に渡米した伊藤博文宅で、
英語や西洋文化について教える住み込みの家庭教師として働き、
そののち伊藤博文の采配で華族女学校(現在の学習院大学)で、
英語教師として教鞭をとることとなりました。
その後梅子は再びアメリカの大学で学ぶために単身渡米し、
3年間アメリカで学びました。梅子の優秀さに、研究室の恩師からは
「研究者にならないか」と勧められ、梅子はまたとないこの話に
葛藤しましたが、日本の女性の教育と地位の改革に
使命感を持っていたため、この話を断り日本に帰国しました。
再び華族女学校で教鞭をとる中、アメリカやイギリスへ招かれる機会があり、
ヘレン・ケラーやナイチン・ゲールとも会い、
大きな刺激を受けました。そうした中で梅子は、
華族女学校での華々しいキャリアを手放して、かねてからの夢であった
自分の学校を作ることを決意しました。梅子が作ったのは、
英語教員を育てるための女学校でした。
梅子は女性が自立するためには、なによりも安定した職を
手にする必要があると考えました。
当時女性でも安定的な地位につける職は、
特別な教育が必要な英語教師ぐらいだったのです。
これまでの数々の友人たちにも助けられて開校した
「女子英学塾」は、はじめは小さい古民家で、
十名の生徒からはじまりました。梅子は非常に情熱的で
厳しい先生でしたが、次第に高いレベルの英語教育が
身につく女子学校として評判となり、生徒も増えていきました。
女子英学塾は関東大震災などの幾多の困難を乗り越えて
大きく成長し、後の津田塾大学となりました。
近代的な価値観とキリスト教信仰
今でこそ、基本的人権や人類の平等は当然の理念として受け入れられていますが、
開国間もなく、厳しい身分制度が色濃く残る明治時代、
キリスト教的思想は日本人にとっては先進的なものでした。
道徳理念的にも、強者が欲しいままにふるまって
弱者から搾取するのは当然の事とされていました。
梅子や仙から見て、西洋の先進的な思想の裏に
キリスト教があることは明らかでした。
キリスト教信仰は人命を神の前に等しく尊いものとし、
神の前にへりくだって、互いに愛し合い、助け合うようにと勧めています。
またこの世界での命には限りがありますが、
神を仰ぐときに死んでもなお天国に行くことができると教えているのです。
梅子や仙はこの愛と希望に満ちた教えに感銘を受け、
深く共感して受け入れたのではないでしょうか。
使命に生きる
梅子は士族の出身者であり、その周りも華々しい社交界の人々でしたが、
鹿鳴館の舞踏会や表面的な西洋かぶれに興じる人々を、
どこか冷めたまなざしで見定めていました。
そして地位の低い人々や、特に不当なまでに
虐げられていた当時の女性たちに心を向けていました。
そうして梅子はその生涯を女子教育と女性の地位向上のために捧げました。
激動の時代に、日本初の女子留学生という数奇な人生を歩んだ梅子は、
「この特別な人生には何か意味がある」ということをよく自覚し、
誠実にその任務を果たそうとしていたのです。
そして留学や教育の経験、与えられた環境から
「自分にしかできないこと」があり、それが何であるかを理解していたのではないでしょうか。
それはけっして平穏で楽しみばかりの人生ではなかったことでしょう。
ひたすら勉学に努め、生みの親や育ての親との離別も経験し、
アイデンティティのゆらぎや孤独を感じることもあったはずです。
しかしそのような中でも、与えられた境遇を感謝し、
周囲の人々との愛を育み、またさらに見知らぬ人々への愛に
突き動かされてまい進し、その使命のためにいのちを燃やし尽くしたのです。
私たち一人ひとりにも、神様が与えてくださった
ご計画と使命があります。さまざまな困難に立ちすくむときに、
天を見上げてその意味を問い、そして神様の視点で感謝してそれを受け入れ、
大胆に応答して生きる者でありたいと思わされます。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って
召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
<ローマ人への手紙8:28>
~新生宣教団~
クリスチャン人物伝より
2024年06月20日 18:00
奇跡の国-イスラエル≫
カテゴリー │イスラエル
離散期間2千年後の奇跡
2千年以上もの間、世界中に離散していた民族が、
先祖の土地に戻ってくるという出来事は、歴史上かつてなかったことです。
しかし1880年代の後半、ユダヤ人が当時パレスチナと
呼ばれていた地に集まりだしたのです。
あたかも、ある時点になると働き始めるようセットされた
タイマーのように、帰巣本能が備え付けられていたかのようでした。
1990年以降、110万人のユダヤ人がそれぞれ離散の地から
イスラエルに戻ってきました。そしてその流れは今も続いています。
イスラエルの550万人のうち300万人以上が帰還民です。
さらに残りの多くが、その子どもや孫たちです。
同化しなかったユダヤ民族の奇跡
ユダヤ人は、世界100ヶ国以上に離散して行ったにもかかわらず、
ユダヤ人としてのアイデンティティーと、
イスラエルの土地との精神的つながりを忘 れませんでした。
離散した国がヨーロッパであろうと、アジア、アフリカであろうと、
どのユダヤ人家庭にも共通して見られるユダヤの習慣がありました。
一日にして国が誕生した奇跡
大変な困難があったにもかかわらず、
イスラエルは1948年5月14日、国家として誕生しました。
その翌日、巣立ったばかりのひな鳥とも言えるようなイスラエルに、
6つのアラブ連合軍が攻めてきました。
防衛手段などほとんどもたない
(その多くがヨーロッパを引き裂いたナチから逃げてきた避難民と)、
小さな飛行機がわずかにあるだけの空軍にもかかわらず、
イスラエルは敵を打ち破りました。
アラブ世界は圧倒され、世界中が驚きました。
しかし、神は驚いてはおられませんでした。
歴史におけるこの瞬間は、
3千年以上も前に預言されていたからです。
「地は一日の陣痛で産み出されようか。
国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、
陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。」
<イザヤ66:8>。
その年の5月13日、イスラエル国家は存在していませんでした。
しかしその翌日、まさにイスラエルは一日にして生み出されたのです。
死んだ言語、ヘブライ語復活の奇跡
イスラエルに帰還したユダヤ人は、
出身国が100以上にも分かれており、その言語もさまざまでした。
共通の言葉による意思疎通ができない中で、
あなたならどのようにして国造りをしていきますか。
それまでヘブライ語は、祈りや聖書の朗読で使われるだけで、
死語と化していました。その死んだ言葉を再び復活させたのが、
エリエゼル・ベン・イェフダでした。彼はパレスチナの地にやってくると、
ヘブライ語以外の言葉を決して使わない決意をしました。
そして、ヘブライ語復活のためにありとあらゆる努力を惜しまず、
彼によって徐々にヘブライ語が広められていきました。
彼の子どもは過去2千年間で初めて、
ヘブライ語を母語とする子どもになりました。
こうしてエリエゼルはヘブライ語に再び命を吹き込んだのです。
今では数百万人の人々がヘブライ語を母語としています。
ほとんど消えかけていた言語が今、
日常生活において普通に使われるようになっています。
土地再建の奇跡
マーク・トウェインは1800年代にイスラエルを訪れ、
そのときのことを著書『イノセント・アブロード』に書いています。
彼はその地を「灼熱、不毛、樹木のない地」と表現しています。
また村人については、「醜く、狭苦しく、みすぼらしく不快で不潔」
と評しました。ほかにも「人里離れた砂漠、不毛な赤茶色の土の山、
カペナウムの憂鬱な廃墟。こんな所で長生きさせられるよりは、
悪魔の一つや二つ丸飲みにして溺死したほうがましだと思った」
などと記述しています。
(『イノセント・アブロード』勝浦吉雄訳 文化書房博文社)
タルムードの学者ナフマニデスは1267年にエルサレムを訪れ、
「人の住まない荒廃した所」と語っています。
1610年、ジョージ・サンディは、「木々もない地。
巨大なからっぽの廃墟」と語り、1877年、C・R・コンドル大佐は、
「パレスチナには住む人はない。地を耕すには人手が全く足りない」と言っています。
今日のイスラエルはこうした表現とは全くかけ離れています。
その地は次の預言の通り、かつての美しさを取り戻しつつあります。
「わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。
荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。
わたしは荒野の中に杉や、アカシア、ミルトス、オリーブの木を植え、
荒地にもみの木、すずかけ、檜も共に植える。主の手がこのことをし、
イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、彼らが見て知り、
心に留めて、共に悟るためである。」
<イザヤ41:18-20>
「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランの花のように
花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、
カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、
彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。」
<イザヤ35:1-2>
レベッカ・J・プリマー/BFP国際会長(CEO)
2千年以上もの間、世界中に離散していた民族が、
先祖の土地に戻ってくるという出来事は、歴史上かつてなかったことです。
しかし1880年代の後半、ユダヤ人が当時パレスチナと
呼ばれていた地に集まりだしたのです。
あたかも、ある時点になると働き始めるようセットされた
タイマーのように、帰巣本能が備え付けられていたかのようでした。
1990年以降、110万人のユダヤ人がそれぞれ離散の地から
イスラエルに戻ってきました。そしてその流れは今も続いています。
イスラエルの550万人のうち300万人以上が帰還民です。
さらに残りの多くが、その子どもや孫たちです。
同化しなかったユダヤ民族の奇跡
ユダヤ人は、世界100ヶ国以上に離散して行ったにもかかわらず、
ユダヤ人としてのアイデンティティーと、
イスラエルの土地との精神的つながりを忘 れませんでした。
離散した国がヨーロッパであろうと、アジア、アフリカであろうと、
どのユダヤ人家庭にも共通して見られるユダヤの習慣がありました。
一日にして国が誕生した奇跡
大変な困難があったにもかかわらず、
イスラエルは1948年5月14日、国家として誕生しました。
その翌日、巣立ったばかりのひな鳥とも言えるようなイスラエルに、
6つのアラブ連合軍が攻めてきました。
防衛手段などほとんどもたない
(その多くがヨーロッパを引き裂いたナチから逃げてきた避難民と)、
小さな飛行機がわずかにあるだけの空軍にもかかわらず、
イスラエルは敵を打ち破りました。
アラブ世界は圧倒され、世界中が驚きました。
しかし、神は驚いてはおられませんでした。
歴史におけるこの瞬間は、
3千年以上も前に預言されていたからです。
「地は一日の陣痛で産み出されようか。
国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、
陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。」
<イザヤ66:8>。
その年の5月13日、イスラエル国家は存在していませんでした。
しかしその翌日、まさにイスラエルは一日にして生み出されたのです。
死んだ言語、ヘブライ語復活の奇跡
イスラエルに帰還したユダヤ人は、
出身国が100以上にも分かれており、その言語もさまざまでした。
共通の言葉による意思疎通ができない中で、
あなたならどのようにして国造りをしていきますか。
それまでヘブライ語は、祈りや聖書の朗読で使われるだけで、
死語と化していました。その死んだ言葉を再び復活させたのが、
エリエゼル・ベン・イェフダでした。彼はパレスチナの地にやってくると、
ヘブライ語以外の言葉を決して使わない決意をしました。
そして、ヘブライ語復活のためにありとあらゆる努力を惜しまず、
彼によって徐々にヘブライ語が広められていきました。
彼の子どもは過去2千年間で初めて、
ヘブライ語を母語とする子どもになりました。
こうしてエリエゼルはヘブライ語に再び命を吹き込んだのです。
今では数百万人の人々がヘブライ語を母語としています。
ほとんど消えかけていた言語が今、
日常生活において普通に使われるようになっています。
土地再建の奇跡
マーク・トウェインは1800年代にイスラエルを訪れ、
そのときのことを著書『イノセント・アブロード』に書いています。
彼はその地を「灼熱、不毛、樹木のない地」と表現しています。
また村人については、「醜く、狭苦しく、みすぼらしく不快で不潔」
と評しました。ほかにも「人里離れた砂漠、不毛な赤茶色の土の山、
カペナウムの憂鬱な廃墟。こんな所で長生きさせられるよりは、
悪魔の一つや二つ丸飲みにして溺死したほうがましだと思った」
などと記述しています。
(『イノセント・アブロード』勝浦吉雄訳 文化書房博文社)
タルムードの学者ナフマニデスは1267年にエルサレムを訪れ、
「人の住まない荒廃した所」と語っています。
1610年、ジョージ・サンディは、「木々もない地。
巨大なからっぽの廃墟」と語り、1877年、C・R・コンドル大佐は、
「パレスチナには住む人はない。地を耕すには人手が全く足りない」と言っています。
今日のイスラエルはこうした表現とは全くかけ離れています。
その地は次の預言の通り、かつての美しさを取り戻しつつあります。
「わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。
荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。
わたしは荒野の中に杉や、アカシア、ミルトス、オリーブの木を植え、
荒地にもみの木、すずかけ、檜も共に植える。主の手がこのことをし、
イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、彼らが見て知り、
心に留めて、共に悟るためである。」
<イザヤ41:18-20>
「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランの花のように
花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、
カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、
彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。」
<イザヤ35:1-2>
レベッカ・J・プリマー/BFP国際会長(CEO)
2024年06月06日 18:23
ハマスがガザ死傷者数水増し≫
カテゴリー │ハマス
ハマスがガザ死傷者数水増しの可能性
雑誌「タブレット」は、ペンシルバニア大学の
総計学教授ワイナー氏の分析から
「ガザ戦の死傷者数は架空の数字だ」と報じました。
ガザ保健省(ハマス運営)が発表した昨年10月26日~11月10日の
死傷者数を集計したところ、
「(不自然なほどに)規則正しい直線性をもって増加していた」とのこと。
この間の死傷者数は一日平均270人(±15%)。
「あまりにも一貫した増加数は、現実の死傷者数とはいいがたい。
おそらくハマスは毎日の死傷者数を恣意的に決めたのだろう」と教授。
ガザでは戦闘員が私服で戦っており、民間人と戦闘員の死亡者の区別もあいまいです。
また、ハマスのロケット弾の1~2割はガザ領内に落ちており、
こうした誤射による死亡者も全体の人数に含まれます。
このような不透明な数字を根拠に、イスラエルは、
「ジェノサイド(民族などの大量虐殺)国家」と批判を受けています。
数字の恣意的な操作は、本当に犠牲となっているガザ市民一人ひとりの
命の重さを見えなくしています。
私たちはこのように一方的な
間違った報道、フェイクニュースに惑わされないように
盲目的にハマスに同調しないようにしましょう!!
今後さらなる調査・分析によって、イスラエルがジェノサイド国家では
ないことが証明されていくように、
またガザ市民の尊い命がプロパガンダに利用されることなく、
国際社会が真の意味でガザ市民を助ける支援を行えるように祈りたいものです。
~OLIVE LIFE 5月号より~
雑誌「タブレット」は、ペンシルバニア大学の
総計学教授ワイナー氏の分析から
「ガザ戦の死傷者数は架空の数字だ」と報じました。
ガザ保健省(ハマス運営)が発表した昨年10月26日~11月10日の
死傷者数を集計したところ、
「(不自然なほどに)規則正しい直線性をもって増加していた」とのこと。
この間の死傷者数は一日平均270人(±15%)。
「あまりにも一貫した増加数は、現実の死傷者数とはいいがたい。
おそらくハマスは毎日の死傷者数を恣意的に決めたのだろう」と教授。
ガザでは戦闘員が私服で戦っており、民間人と戦闘員の死亡者の区別もあいまいです。
また、ハマスのロケット弾の1~2割はガザ領内に落ちており、
こうした誤射による死亡者も全体の人数に含まれます。
このような不透明な数字を根拠に、イスラエルは、
「ジェノサイド(民族などの大量虐殺)国家」と批判を受けています。
数字の恣意的な操作は、本当に犠牲となっているガザ市民一人ひとりの
命の重さを見えなくしています。
私たちはこのように一方的な
間違った報道、フェイクニュースに惑わされないように
盲目的にハマスに同調しないようにしましょう!!
今後さらなる調査・分析によって、イスラエルがジェノサイド国家では
ないことが証明されていくように、
またガザ市民の尊い命がプロパガンダに利用されることなく、
国際社会が真の意味でガザ市民を助ける支援を行えるように祈りたいものです。
~OLIVE LIFE 5月号より~
2024年05月16日 11:49
戦時下の祖国イスラエルへ戻るユダヤ人≫
カテゴリー │イスラエル
国内で戦争が勃発した時、
人々が他国へ避難するのは当然の流れです。
一方、イスラエルでは、
人々が祖国に戻ってくるという逆の現象が起こっています。
戦争が勃発して以降も、イスラエルに移住してくるユダヤ人は後を絶ちません。
事実、アメリカやフランスのように豊かで安全な国に暮らしてきた人々が、
そうした生活を捨て、テロリストに直面する国に移住してきています。
2023年、実に37カ国以上から4万6687人がイスラエルへの移住を果たしました。
テロ集団(ハマス)は国境を突破し1200人以上を虐殺し、
5千人近くを負傷させ、250人以上を拷問やレイプ、
餓死させるために自らの領土に引きずり込みました。
そんな中、イスラエルで人生を再スタートする動機はどこにあるのでしょうか。
理性に反する行為のようにも見えますが、実際には理にかなっています。
なぜなら、移住のただ中に“主”がおられるからです。
2千年もの間、世界中にいる多くのユダヤ人がエルサレムに向かい
一日に三度祈りを捧げてきました。過ぎ越しの祭りのたびに
「来年はエルサレムで!」と宣言してきました。
帰還という神の約束
主がシオンを再建され、この地に連れ戻してくださるという
約束を多くのユダヤ人が信じています。
この約束は、預言書に63回も出てきます(例:イザ11:12、エゼ36章など)。
神は、「ご自分の宝の民」(申7:6)あるいは「わたしの瞳」(ゼカ2:8)と呼ばれた
イスラエルと契約を結ばれ、決してそれを破ることはありません
(例:創15章や詩105:7〜11)。
だからこそ、帰還の論理は揺らぎません。
この驚くべき奇跡の背後に、神がおられるからです。
近代の帰還が1880年代に始まって以来、何百万人ものユダヤ人が祖国に戻ってきました。
ある人は迫害や暴力、貧困を逃れて、ある人は快適な生活に別れを告げて――。
帰還を選択した理由は千差万別です。
船や飛行機を乗り継ぎ、あるいは徒歩でイスラエルを目指した人もいました。
「シオンに足を踏み入れ、二度と離散しないように」という
心の呼び掛けに応じ、ユダヤ人はホロコーストの灰の中から、
あるいはロンドン、パリ、ニューヨークの街路から帰還してきました。
帰還を呼び掛けているのは神ご自身です。
神を拒絶する世界にとって、戦争中の国に移住するという選択は
無謀に見えるかもしれません。しかし、神の働きは、
世間が「普通」や「賢明」と見なすものを超越しています。
人は「安全」や「快適な生活」「物質的な豊かさ」に焦点を当てますが、
神は快適な船から一歩を踏み出すよう、
契約を結ばれた者に呼び掛けられるのです。世の定義からすれば無謀と思えても、
神は私たちが「居心地が悪い」と感じるまさにその空間で働かれます。
闇を抑え光を輝かせる
昨年10月7日にハマスがイスラエル国民を攻撃してから一日もたたないうちに、
多くのユダヤ人が帰還の準備を始めました。
彼らは、快適な生活を捨て、イスラエル国防軍に入隊し
ハマスの闇を押し返す光となるため、
イスラエル国民となる最終ステップを踏み出したのです。
ヘブライ語ではハマスは「暴力」を意味します。
それこそがこのテロ組織の本質です。
200万人ものガザ市民を暴力思想によって支配し、
100人以上ものイスラエル市民を地下トンネルなどに人質として拘束し続けています。
BFP(ブリッジス・フォー・ピース)は、
闇を抑えて光を輝かせるために活動してきました。
私たちは、ホロコースト以来最大のトラウマを経験している
国家に移住してくるユダヤ人を支援しています。
月間OLIVE LIFE誌月号より
文:ピーター・ファスト(BFP CEO)
人々が他国へ避難するのは当然の流れです。
一方、イスラエルでは、
人々が祖国に戻ってくるという逆の現象が起こっています。
戦争が勃発して以降も、イスラエルに移住してくるユダヤ人は後を絶ちません。
事実、アメリカやフランスのように豊かで安全な国に暮らしてきた人々が、
そうした生活を捨て、テロリストに直面する国に移住してきています。
2023年、実に37カ国以上から4万6687人がイスラエルへの移住を果たしました。
テロ集団(ハマス)は国境を突破し1200人以上を虐殺し、
5千人近くを負傷させ、250人以上を拷問やレイプ、
餓死させるために自らの領土に引きずり込みました。
そんな中、イスラエルで人生を再スタートする動機はどこにあるのでしょうか。
理性に反する行為のようにも見えますが、実際には理にかなっています。
なぜなら、移住のただ中に“主”がおられるからです。
2千年もの間、世界中にいる多くのユダヤ人がエルサレムに向かい
一日に三度祈りを捧げてきました。過ぎ越しの祭りのたびに
「来年はエルサレムで!」と宣言してきました。
帰還という神の約束
主がシオンを再建され、この地に連れ戻してくださるという
約束を多くのユダヤ人が信じています。
この約束は、預言書に63回も出てきます(例:イザ11:12、エゼ36章など)。
神は、「ご自分の宝の民」(申7:6)あるいは「わたしの瞳」(ゼカ2:8)と呼ばれた
イスラエルと契約を結ばれ、決してそれを破ることはありません
(例:創15章や詩105:7〜11)。
だからこそ、帰還の論理は揺らぎません。
この驚くべき奇跡の背後に、神がおられるからです。
近代の帰還が1880年代に始まって以来、何百万人ものユダヤ人が祖国に戻ってきました。
ある人は迫害や暴力、貧困を逃れて、ある人は快適な生活に別れを告げて――。
帰還を選択した理由は千差万別です。
船や飛行機を乗り継ぎ、あるいは徒歩でイスラエルを目指した人もいました。
「シオンに足を踏み入れ、二度と離散しないように」という
心の呼び掛けに応じ、ユダヤ人はホロコーストの灰の中から、
あるいはロンドン、パリ、ニューヨークの街路から帰還してきました。
帰還を呼び掛けているのは神ご自身です。
神を拒絶する世界にとって、戦争中の国に移住するという選択は
無謀に見えるかもしれません。しかし、神の働きは、
世間が「普通」や「賢明」と見なすものを超越しています。
人は「安全」や「快適な生活」「物質的な豊かさ」に焦点を当てますが、
神は快適な船から一歩を踏み出すよう、
契約を結ばれた者に呼び掛けられるのです。世の定義からすれば無謀と思えても、
神は私たちが「居心地が悪い」と感じるまさにその空間で働かれます。
闇を抑え光を輝かせる
昨年10月7日にハマスがイスラエル国民を攻撃してから一日もたたないうちに、
多くのユダヤ人が帰還の準備を始めました。
彼らは、快適な生活を捨て、イスラエル国防軍に入隊し
ハマスの闇を押し返す光となるため、
イスラエル国民となる最終ステップを踏み出したのです。
ヘブライ語ではハマスは「暴力」を意味します。
それこそがこのテロ組織の本質です。
200万人ものガザ市民を暴力思想によって支配し、
100人以上ものイスラエル市民を地下トンネルなどに人質として拘束し続けています。
BFP(ブリッジス・フォー・ピース)は、
闇を抑えて光を輝かせるために活動してきました。
私たちは、ホロコースト以来最大のトラウマを経験している
国家に移住してくるユダヤ人を支援しています。
月間OLIVE LIFE誌月号より
文:ピーター・ファスト(BFP CEO)
2024年05月12日 21:17
星野富弘さん召天≫
カテゴリー │NEWS
クリスチャン詩画作家の星野富弘(ほしの・とみひろ)氏が
28日午後6時32分、呼吸不全のため天に召された。
78歳だった。
星野氏の作品を展示している富弘美術館(群馬県みどり市)が
30日、ホームページで発表した。
星野氏は1946年、群馬県東村(現みどり市)生まれ。
群馬大学教育学部卒業後、中学校の体育教諭となる。
70年、器械体操のクラブ活動指導中に
頸髄(けいずい)を損傷。
首から下の運動機能を失ってしまう。
9年にわたる入院生活中に、口にくわえた筆で
詩や絵を描くことを始め、74年には前橋キリスト教会の
故舟喜拓生牧師から洗礼を受ける。
退院後も故郷に戻って創作活動を続け、
新聞や雑誌に詩画や随筆を連載。
国内外で個展「花の詩画展」を開き、
「花の詩画集」シリーズをはじめ多くの詩画集を出版した。
2006年には群馬県の名誉県民に選ばれている。
故郷のみどり市にある富弘美術館のほかに、
熊本県芦北町には姉妹館として星野富弘美術館がある。
富弘美術館はスタッフ一同によるコメント。
「当館は2021年で来館者数が700万人を超えました。
口に筆をくわえて詩画を描き始めてから現在まで、
どれほどの人が富弘さんに生きる力を頂いたのかが、
この数字からも分かります。
何より、美術館で働くスタッフ一人一人が、
富弘さんの優しい人柄や作品に助けられてきました。
これからも富弘さんの作品に出会える場所として、
美術館は皆様をお待ちしております」としている。
詩画作品が生まれるまでのショートストーリー
絵:みなみななみ
Piano:Style Jun
https://youtu.be/Fm3Me3RSb8U
28日午後6時32分、呼吸不全のため天に召された。
78歳だった。
星野氏の作品を展示している富弘美術館(群馬県みどり市)が
30日、ホームページで発表した。
星野氏は1946年、群馬県東村(現みどり市)生まれ。
群馬大学教育学部卒業後、中学校の体育教諭となる。
70年、器械体操のクラブ活動指導中に
頸髄(けいずい)を損傷。
首から下の運動機能を失ってしまう。
9年にわたる入院生活中に、口にくわえた筆で
詩や絵を描くことを始め、74年には前橋キリスト教会の
故舟喜拓生牧師から洗礼を受ける。
退院後も故郷に戻って創作活動を続け、
新聞や雑誌に詩画や随筆を連載。
国内外で個展「花の詩画展」を開き、
「花の詩画集」シリーズをはじめ多くの詩画集を出版した。
2006年には群馬県の名誉県民に選ばれている。
故郷のみどり市にある富弘美術館のほかに、
熊本県芦北町には姉妹館として星野富弘美術館がある。
富弘美術館はスタッフ一同によるコメント。
「当館は2021年で来館者数が700万人を超えました。
口に筆をくわえて詩画を描き始めてから現在まで、
どれほどの人が富弘さんに生きる力を頂いたのかが、
この数字からも分かります。
何より、美術館で働くスタッフ一人一人が、
富弘さんの優しい人柄や作品に助けられてきました。
これからも富弘さんの作品に出会える場所として、
美術館は皆様をお待ちしております」としている。
詩画作品が生まれるまでのショートストーリー
絵:みなみななみ
Piano:Style Jun
https://youtu.be/Fm3Me3RSb8U
2024年04月18日 13:04
世の終わりの前兆≫
カテゴリー │BIBLE
マタイ24章に
世の終わりの預言が書かれています。
オリーブ山において弟子たちに教えられたので、
「オリーブ山での説教」と呼ばれる聖書個所です。
①キリストを名乗る者が現れる
24:5 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、
『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
②戦争
③飢饉と地震
24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、
気をつけて、あわてないようにしなさい。
これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
方々にききんと地震が起こります。
24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
④迫害
24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、
殺します。また、わたしの名のために、
あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
⑤つまずき、互いに裏切り、憎み合い
24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、
互いに裏切り、憎み合います。
⑥偽預言者
24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
⑦不法、愛のない時代
24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
⑧福音が全世界に宣べ伝えられる
24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、
すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
世界の将来はすでに神様のご計画によって定められています。
これらの預言が成就しつつあるのを私たちは
歴史を通して知ることが出来ます。
では、私たちはどうしたらよいのでしょうか?――
聖書は次のように教えます。
使徒2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、
「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
あなたにとって神様の御心ははっきりしています。
あなたの救い主であるイエス・キリストの福音を信じ、
神の子どもとして歩むことです。曲がった時代にあって、まっすぐな道を歩むことです。
世の終わりの預言が書かれています。
オリーブ山において弟子たちに教えられたので、
「オリーブ山での説教」と呼ばれる聖書個所です。
①キリストを名乗る者が現れる
24:5 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、
『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
②戦争
③飢饉と地震
24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、
気をつけて、あわてないようにしなさい。
これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
方々にききんと地震が起こります。
24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
④迫害
24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、
殺します。また、わたしの名のために、
あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
⑤つまずき、互いに裏切り、憎み合い
24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、
互いに裏切り、憎み合います。
⑥偽預言者
24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
⑦不法、愛のない時代
24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
⑧福音が全世界に宣べ伝えられる
24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、
すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
世界の将来はすでに神様のご計画によって定められています。
これらの預言が成就しつつあるのを私たちは
歴史を通して知ることが出来ます。
では、私たちはどうしたらよいのでしょうか?――
聖書は次のように教えます。
使徒2:40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、
「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
あなたにとって神様の御心ははっきりしています。
あなたの救い主であるイエス・キリストの福音を信じ、
神の子どもとして歩むことです。曲がった時代にあって、まっすぐな道を歩むことです。
2024年03月28日 14:52
イースターとは、キリストの復活を記念する日です。
キリスト教会にとってはクリスマス以上に
大切な日とされています。
イエス・キリストは、この地上でおよそ33年の生涯を送り、
最後には人々の罪を背負って十字架にかかり
身代りの罰をお受けになりました。
十字架上で死なれ、お墓に入れられました。
それから3日目によみがえられて、40日間人々の前に現れ、
今度は死を見ることなく天に引き上げられ
て行かれた、、、、と聖書に書かれています。
イエス・キリストが死に打ち勝って復活されたからこそ、
信じる者に罪からの贖いと死への勝利を約束されたと言えます。
クリスチャンの信仰の原点は、古今東西、教派を問わず
このイエス・キリストの復活にあると言っても過言ではないのです。
イースターは移動祭日
イースターは実は何月何日と規定されていません。
イースターの日にちは次のように決まっています。
それは、「春分の日の後の、最初の満月の後の、最初の日曜日」
ということです。それゆえに年ごとに日にちは違っていまして、
3月22日から4月25日(太陽暦)の間を行き来しています。
だからイースターの日を覚えることができず、クリスチャンでも
今年のイースターは言えても、来年、再来年となると……
天体が関係するので調べないと言えないのです。
そしてすっかりおなじみの
イースター・エッグやイースター・バニーですが、
これはどうやら、聖書的、信仰的なものというよりは、
春の到来を喜ぶ風習としてイースターの喜びと
結びついて定着したもののようです。
誰しもこの地上での生活はいずれ終わりを迎えます。
普通その後のことは考えても分からないので元気なうちは
あまり考えたくもありませんよね。
でも聖書は、死をもって全てが終わるのではない。
再び新しい体が与えられて永遠に神の国に住まうことが
出来るということを明確に語っています。
死をもって全てが消えて無になるのではない。
ただ条件は一つだけ。それは「イエス・キリストにあって」、それだけです!
Happy Easter!!
本当によろこびのイースターをお迎えしましょう。
イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
<ヨハネ11:25〜26>
イースターについて≫
カテゴリー │BIBLE
イースターとは、キリストの復活を記念する日です。
キリスト教会にとってはクリスマス以上に
大切な日とされています。
イエス・キリストは、この地上でおよそ33年の生涯を送り、
最後には人々の罪を背負って十字架にかかり
身代りの罰をお受けになりました。
十字架上で死なれ、お墓に入れられました。
それから3日目によみがえられて、40日間人々の前に現れ、
今度は死を見ることなく天に引き上げられ
て行かれた、、、、と聖書に書かれています。
イエス・キリストが死に打ち勝って復活されたからこそ、
信じる者に罪からの贖いと死への勝利を約束されたと言えます。
クリスチャンの信仰の原点は、古今東西、教派を問わず
このイエス・キリストの復活にあると言っても過言ではないのです。
イースターは移動祭日
イースターは実は何月何日と規定されていません。
イースターの日にちは次のように決まっています。
それは、「春分の日の後の、最初の満月の後の、最初の日曜日」
ということです。それゆえに年ごとに日にちは違っていまして、
3月22日から4月25日(太陽暦)の間を行き来しています。
だからイースターの日を覚えることができず、クリスチャンでも
今年のイースターは言えても、来年、再来年となると……
天体が関係するので調べないと言えないのです。
そしてすっかりおなじみの
イースター・エッグやイースター・バニーですが、
これはどうやら、聖書的、信仰的なものというよりは、
春の到来を喜ぶ風習としてイースターの喜びと
結びついて定着したもののようです。
誰しもこの地上での生活はいずれ終わりを迎えます。
普通その後のことは考えても分からないので元気なうちは
あまり考えたくもありませんよね。
でも聖書は、死をもって全てが終わるのではない。
再び新しい体が与えられて永遠に神の国に住まうことが
出来るということを明確に語っています。
死をもって全てが消えて無になるのではない。
ただ条件は一つだけ。それは「イエス・キリストにあって」、それだけです!
Happy Easter!!
本当によろこびのイースターをお迎えしましょう。
イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
<ヨハネ11:25〜26>
2024年03月06日 15:27
(CNN) 起業家イーロン・マスク氏が創設した
新興企業ニューラリンクが、
初めて人の脳にチップを埋め込む手術を行った。
手術は2/28日に行われ、患者は順調に回復しているという。
ニューラリンクは、脳に埋め込むチップや手術器具の
安全性と機能性についての研究を承認されていた。
ニューラリンクの初の製品は「テレパシー」と呼ばれるとマスク氏は説明。
まずは四肢が使えなくなった患者を対象にすると述べ、
「例えばスティーブン・ホーキング氏が、
高速タイピストや競売人より速くコミュニケーション出来る事を想像してほしい。
それが目標だ」とした。
ニューラリンクはチップを埋め込んで人の脳とコンピューターを
接続する技術の開発を5年がかりで進めてきた。
しかし2022年、ゲームをさせようとしたサルが死んだことで批判の的になった。
昨年5月、米食品医薬品局(FDA)はニューラリンクによる
人の臨床試験を承認。数カ月後、同社は脊髄(せきずい)損傷や
筋萎縮性側索硬化症(ALS)による四肢まひの患者を募り始めた。
将来はテレパシーの出来る人間が出来るのでしょうか?
なんだか怖いような気がします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こういったニュースを見ると
1900年前に書かれた聖書の黙示録に
現代のテクノロジーが預言されている事がわかります。
↓
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、
自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることも出来ないいようにした。
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
<ヨハネ黙示録13:16-17>
そしてこの終末の時代、イエスの再臨が近い事がわかります。
気をつけて、目を覚ましていなさい。
その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
<マルコ13:33>
イーロンマスクが人の脳にチップを埋め込み≫
カテゴリー │NEWS
(CNN) 起業家イーロン・マスク氏が創設した
新興企業ニューラリンクが、
初めて人の脳にチップを埋め込む手術を行った。
手術は2/28日に行われ、患者は順調に回復しているという。
ニューラリンクは、脳に埋め込むチップや手術器具の
安全性と機能性についての研究を承認されていた。
ニューラリンクの初の製品は「テレパシー」と呼ばれるとマスク氏は説明。
まずは四肢が使えなくなった患者を対象にすると述べ、
「例えばスティーブン・ホーキング氏が、
高速タイピストや競売人より速くコミュニケーション出来る事を想像してほしい。
それが目標だ」とした。
ニューラリンクはチップを埋め込んで人の脳とコンピューターを
接続する技術の開発を5年がかりで進めてきた。
しかし2022年、ゲームをさせようとしたサルが死んだことで批判の的になった。
昨年5月、米食品医薬品局(FDA)はニューラリンクによる
人の臨床試験を承認。数カ月後、同社は脊髄(せきずい)損傷や
筋萎縮性側索硬化症(ALS)による四肢まひの患者を募り始めた。
将来はテレパシーの出来る人間が出来るのでしょうか?
なんだか怖いような気がします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こういったニュースを見ると
1900年前に書かれた聖書の黙示録に
現代のテクノロジーが預言されている事がわかります。
↓
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、
自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることも出来ないいようにした。
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
<ヨハネ黙示録13:16-17>
そしてこの終末の時代、イエスの再臨が近い事がわかります。
気をつけて、目を覚ましていなさい。
その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
<マルコ13:33>
2024年02月22日 16:38
~The Meaning of the Super Bowl ‘He Gets Us’ Ad という
New York Timesの記事より~
世界一高額なスーパーボールのCM枠に登場した
「イエス・キリスト」の広告が物議を醸しています。
(放映費はなんと10億超え!!(*_*))
視聴者は1億200万人とも言われています。
「誰かが誰かの足を洗う」という基本的な構図に基づいていますが、
石油掘削施設の作業員が気候変動活動家の足を洗う。
警官が黒人青年の足を洗う。
中絶反対派が見守る中、年配の女性が
中絶クリニックの外で若い女性の足を洗う。
神父がゲイの若者の足を洗うといった、
実社会ではあり得ない組み合わせがひたすら続きます。
そしてCMの最後に
JESUS DIDN'T TEACH HATE
イエスは憎む事を教えてはいない
という言葉が登場し、その後に
"HE WASHED FEET."
"He gets us. All of us."
という言葉が続き
"Jesus"
で締めくくります。最後はテンポもよく、かっこいい仕上がりになっています。
ちなみにこの足を洗うという行為は、
旧約聖書や新約聖書で非常に重要な意味を持っています。
この広告は『He Gets Us』と呼ばれるグループによるものです。
広告に対しては左派のみならず、キリスト教右派も激怒しています。
右派が激怒している理由の一つは、
中絶クリニック(=右派が反対している行為)の前で足を洗う、
つまり赦しを与えるシーンがあるからです。
記事の最後では、記者であるDavid Frenchの
以下の言葉で締めくくられています。
『しかし、スーパーボウルの広告は何か異なり、
より挑発的なことをした。それは、私たちの国に“
He Gets Us(イエスは私達を理解している)”と伝える代わりに、
実際にはアメリカのキリスト教徒に対して、
「私たちは彼を理解しているのか?(Do we get him?)」と問いかけているのだ。』
https://youtu.be/94BqlDQ-Ppo
しかし、あるアメリカ人がこのCMをリメイクした
さらに素晴らしいショート動画が実はあります。
↓
この世と調子を合わせてはいけません。
いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、
神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、
心の一新によって自分を変えなさい。
<ローマ12:2>
スーパーボールのキリスト教CM≫
カテゴリー │TV
~The Meaning of the Super Bowl ‘He Gets Us’ Ad という
New York Timesの記事より~
世界一高額なスーパーボールのCM枠に登場した
「イエス・キリスト」の広告が物議を醸しています。
(放映費はなんと10億超え!!(*_*))
視聴者は1億200万人とも言われています。
「誰かが誰かの足を洗う」という基本的な構図に基づいていますが、
石油掘削施設の作業員が気候変動活動家の足を洗う。
警官が黒人青年の足を洗う。
中絶反対派が見守る中、年配の女性が
中絶クリニックの外で若い女性の足を洗う。
神父がゲイの若者の足を洗うといった、
実社会ではあり得ない組み合わせがひたすら続きます。
そしてCMの最後に
JESUS DIDN'T TEACH HATE
イエスは憎む事を教えてはいない
という言葉が登場し、その後に
"HE WASHED FEET."
"He gets us. All of us."
という言葉が続き
"Jesus"
で締めくくります。最後はテンポもよく、かっこいい仕上がりになっています。
ちなみにこの足を洗うという行為は、
旧約聖書や新約聖書で非常に重要な意味を持っています。
この広告は『He Gets Us』と呼ばれるグループによるものです。
広告に対しては左派のみならず、キリスト教右派も激怒しています。
右派が激怒している理由の一つは、
中絶クリニック(=右派が反対している行為)の前で足を洗う、
つまり赦しを与えるシーンがあるからです。
記事の最後では、記者であるDavid Frenchの
以下の言葉で締めくくられています。
『しかし、スーパーボウルの広告は何か異なり、
より挑発的なことをした。それは、私たちの国に“
He Gets Us(イエスは私達を理解している)”と伝える代わりに、
実際にはアメリカのキリスト教徒に対して、
「私たちは彼を理解しているのか?(Do we get him?)」と問いかけているのだ。』
https://youtu.be/94BqlDQ-Ppo
しかし、あるアメリカ人がこのCMをリメイクした
さらに素晴らしいショート動画が実はあります。
↓
この世と調子を合わせてはいけません。
いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、
神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、
心の一新によって自分を変えなさい。
<ローマ12:2>
2024年02月07日 14:55
2月5日は日本二十六聖人殉教日≫
カテゴリー │NEWS
1597年2月5日、長崎・西坂の丘で、豊臣秀吉の発令によって、
20人の日本人と6人の外国人宣教師が、
京都や大阪から連行され処刑されました。
ここで殉教した26人は、1862年、ローマ教皇ピウス9世により
聖人とされ、日本二十六聖人と呼ばれています。
カトリック教会では、2月5日を二十六聖人の殉教の日として、
毎年記念行事を行っています。
「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。
いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」
という星野富弘さんの詩があります。
いのちより大切なものは何でしょうか?
この世のいのちは尊く、会社や国家の犠牲になることは
あってはならないのです。
そして、肉体のいのちよりも大切なものは、いのちの源であり
与え主である神とのつながり、そして人と人との愛のつながりです。
~最年少殉教者ルドビゴくんの物語~
-----天国の確信と報い----
26人の殉教者の中に3人の少年がいました。
その中でも最も最年少だったのがルドビゴ茨木です。
彼は12才の、あまり利発ではないけれども、とてもいたいけな少年でした。
佐賀唐津の山本村に26人が着いた時、
彼らを引き渡されたのが寺沢半三郎でした。
彼の兄は寺沢広高といい、
かつてパウロ三木から洗礼を受けたことのある人でした。
彼も洗礼を受けてはいませんでしたが、パウロ三木のことをとても尊敬していました。
兄の広高が挑戦出兵でいなかったため、
半三郎が26人が殉教する西坂の丘まで彼らを連れて行き、
そこで死刑を執行する責任者でした。
半三郎はルドビゴを見て思いました。何とかして助けてあげたい。
幸いもらった名簿は24人でした。
途中で付き人の二人が殉教者に加わったので26人になっていました。
これなら一人くらいなら助けることができる。
そう思った半三郎は、ルドビゴに言いました。
「ルドビコ、お前の命はわしの手のひらの中にある。
お前はわしの養子になれ。養子にしてやろう。
そうすれば助かるのだ。何も死に急ぐことはない。」
そう言われたルドビゴは26人のリーダーの
ペテロバプチスタ神父のところに行き、聞きました。
「神父様、お役人様が、私の養子になれ。
そうすれば助かる。と申しますが、どうすればよろしいでしょうか。」
ペテロバプチスタ神父は言いました。
「何も死に急ぐことはない。養子にしてもらいなさい。
ただイエス・キリストへの信仰、これだけは失ってはいけません、
捨ててはいけませんよ。」
ルドビゴは明るい元気な声で答えました。
「もちろんです。わかりました。」
そして半三郎のところに来て言いました。
「ありがとうございます。それでは養子にしていただきます。
ただイエス・キリストへの信仰、これだけは捨てるわけにはいきませんので、
この信仰だけは守らせてもらいます。」
半三郎は即座に言いました。
「それだけはダメだ。イエス・キリストへの信仰、
それだけはダメだ。それさえ捨てれば後は何をしても構わん。
その信仰だけは捨てなさい。」
ルドビゴは、微笑みながら天を指して言いました。
「それでは養子にしていただくことはお断りいたします。
イエス・キリスト様とともにパライソ(天国)に参ります。」
半三郎はなんとかしてルドビゴを助けたくて
真剣にルドビゴに向かって言いました。
「ルドビゴ、よく考えるのじゃ、お前はまだ若い、
まだ50も年は生きられる。わしの養子になれば、
好きなだけうまいものが食えるぞ。いろんな服を着ておしゃれもできる。
そして刀を差して、武士にもなれるぞ。あと50年は生きれるぞ」
ルドビゴは、この半三郎の目をしっかりと見つめて言いました。
「お役人様、キリストが下さる永遠の命を失って、
この世で50年生きたところで何になりましょう。
私はキリストとともに永遠のパライソなる天国に行きとうございます。
あなたの方こそ、このイエス・キリストを信じて
私と一緒にパライソなる天に参りましょう。」
まっすぐに自分を見つめるルドビゴの混じり気のない瞳に、
半三郎は思わずも目をそらし何も答えられなくなりました。
自分を殺す権威を持っている役人に向かって、
臆することなく、微笑みながら大胆に天国への
招きを語った12歳のルドビゴ茨木少年。
殺される側の12歳の少年の心には喜びと平安、天国への希望がありました。
一方、殺す側の権威を持っていた役人には、
当時の権力者太閤秀吉への恐れと自分の立場を守るための
保身にしか生きれない深い後悔があったのです。
20人の日本人と6人の外国人宣教師が、
京都や大阪から連行され処刑されました。
ここで殉教した26人は、1862年、ローマ教皇ピウス9世により
聖人とされ、日本二十六聖人と呼ばれています。
カトリック教会では、2月5日を二十六聖人の殉教の日として、
毎年記念行事を行っています。
「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。
いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」
という星野富弘さんの詩があります。
いのちより大切なものは何でしょうか?
この世のいのちは尊く、会社や国家の犠牲になることは
あってはならないのです。
そして、肉体のいのちよりも大切なものは、いのちの源であり
与え主である神とのつながり、そして人と人との愛のつながりです。
~最年少殉教者ルドビゴくんの物語~
-----天国の確信と報い----
26人の殉教者の中に3人の少年がいました。
その中でも最も最年少だったのがルドビゴ茨木です。
彼は12才の、あまり利発ではないけれども、とてもいたいけな少年でした。
佐賀唐津の山本村に26人が着いた時、
彼らを引き渡されたのが寺沢半三郎でした。
彼の兄は寺沢広高といい、
かつてパウロ三木から洗礼を受けたことのある人でした。
彼も洗礼を受けてはいませんでしたが、パウロ三木のことをとても尊敬していました。
兄の広高が挑戦出兵でいなかったため、
半三郎が26人が殉教する西坂の丘まで彼らを連れて行き、
そこで死刑を執行する責任者でした。
半三郎はルドビゴを見て思いました。何とかして助けてあげたい。
幸いもらった名簿は24人でした。
途中で付き人の二人が殉教者に加わったので26人になっていました。
これなら一人くらいなら助けることができる。
そう思った半三郎は、ルドビゴに言いました。
「ルドビコ、お前の命はわしの手のひらの中にある。
お前はわしの養子になれ。養子にしてやろう。
そうすれば助かるのだ。何も死に急ぐことはない。」
そう言われたルドビゴは26人のリーダーの
ペテロバプチスタ神父のところに行き、聞きました。
「神父様、お役人様が、私の養子になれ。
そうすれば助かる。と申しますが、どうすればよろしいでしょうか。」
ペテロバプチスタ神父は言いました。
「何も死に急ぐことはない。養子にしてもらいなさい。
ただイエス・キリストへの信仰、これだけは失ってはいけません、
捨ててはいけませんよ。」
ルドビゴは明るい元気な声で答えました。
「もちろんです。わかりました。」
そして半三郎のところに来て言いました。
「ありがとうございます。それでは養子にしていただきます。
ただイエス・キリストへの信仰、これだけは捨てるわけにはいきませんので、
この信仰だけは守らせてもらいます。」
半三郎は即座に言いました。
「それだけはダメだ。イエス・キリストへの信仰、
それだけはダメだ。それさえ捨てれば後は何をしても構わん。
その信仰だけは捨てなさい。」
ルドビゴは、微笑みながら天を指して言いました。
「それでは養子にしていただくことはお断りいたします。
イエス・キリスト様とともにパライソ(天国)に参ります。」
半三郎はなんとかしてルドビゴを助けたくて
真剣にルドビゴに向かって言いました。
「ルドビゴ、よく考えるのじゃ、お前はまだ若い、
まだ50も年は生きられる。わしの養子になれば、
好きなだけうまいものが食えるぞ。いろんな服を着ておしゃれもできる。
そして刀を差して、武士にもなれるぞ。あと50年は生きれるぞ」
ルドビゴは、この半三郎の目をしっかりと見つめて言いました。
「お役人様、キリストが下さる永遠の命を失って、
この世で50年生きたところで何になりましょう。
私はキリストとともに永遠のパライソなる天国に行きとうございます。
あなたの方こそ、このイエス・キリストを信じて
私と一緒にパライソなる天に参りましょう。」
まっすぐに自分を見つめるルドビゴの混じり気のない瞳に、
半三郎は思わずも目をそらし何も答えられなくなりました。
自分を殺す権威を持っている役人に向かって、
臆することなく、微笑みながら大胆に天国への
招きを語った12歳のルドビゴ茨木少年。
殺される側の12歳の少年の心には喜びと平安、天国への希望がありました。
一方、殺す側の権威を持っていた役人には、
当時の権力者太閤秀吉への恐れと自分の立場を守るための
保身にしか生きれない深い後悔があったのです。
2024年02月01日 17:55
愛の言葉≫
カテゴリー │BIBLE
バレンタインデーが近いという事で
聖書から愛の名言をご紹介したいと思います。
もし愛がなければ、いっさいは無益である。
<Ⅰコリント人への手紙13:3>
愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない
<Ⅰコリント人への手紙13:4>
自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。
<マタイの福音書22:39>
わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、
行いと真実とをもって愛し合おうではないか。
<ヨハネの第一の手紙 3:18>
私の目にはあなたは高価で貴い
わたしはあなたを愛している
<イザヤ43:4>
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
<コリント人への手紙I 13:4〜8>
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。
<Ⅰコリント13:13 >
~4種類の愛~
エロスの愛 :異性を求める愛。
フィリの愛 :男女を問わず、相手を大切にする友情。
ストルゲーの愛 :家族の間にある愛
アガペーの愛 :無条件の神の愛
無条件の神の愛は、愛する対象から見返りを求めない、
一方的に注がれる愛です。
神様は永遠で変わることがない方だと
聖書には書かれています。
また愛そのものが神様とも書かれています
神様は決して変わらない方ですので、愛もまた永遠で多くなったり、
少なくなったりすることもありません。
イエス様は聖書の中で最も大切な教えは何かと聞かれて、
神を「無条件の愛」で愛す事と、
人を「無条件の愛」で愛する事だと教えられました。
なぜなら、あなたも、あなたの隣にいる人も
神様の「無条件の愛」で等しく愛されているのですから。
結論を一言でいうと、、、
愛は相手を無条件に受け入れ決して変わることはない
ということです。
聖書から愛の名言をご紹介したいと思います。
もし愛がなければ、いっさいは無益である。
<Ⅰコリント人への手紙13:3>
愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない
<Ⅰコリント人への手紙13:4>
自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。
<マタイの福音書22:39>
わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、
行いと真実とをもって愛し合おうではないか。
<ヨハネの第一の手紙 3:18>
私の目にはあなたは高価で貴い
わたしはあなたを愛している
<イザヤ43:4>
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
<コリント人への手紙I 13:4〜8>
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。
<Ⅰコリント13:13 >
~4種類の愛~
エロスの愛 :異性を求める愛。
フィリの愛 :男女を問わず、相手を大切にする友情。
ストルゲーの愛 :家族の間にある愛
アガペーの愛 :無条件の神の愛
無条件の神の愛は、愛する対象から見返りを求めない、
一方的に注がれる愛です。
神様は永遠で変わることがない方だと
聖書には書かれています。
また愛そのものが神様とも書かれています
神様は決して変わらない方ですので、愛もまた永遠で多くなったり、
少なくなったりすることもありません。
イエス様は聖書の中で最も大切な教えは何かと聞かれて、
神を「無条件の愛」で愛す事と、
人を「無条件の愛」で愛する事だと教えられました。
なぜなら、あなたも、あなたの隣にいる人も
神様の「無条件の愛」で等しく愛されているのですから。
結論を一言でいうと、、、
愛は相手を無条件に受け入れ決して変わることはない
ということです。